高校生くらいの頃から、将来は会社を自分で興したいと思っていました。
具体的にどのような業界までは当時はイメージついていませんでしたが、漠然と海外にも縁があるような仕事をしたいと思っていました。
子供がスポーツ選手にあこがれるように、職業として経営者が一番かっこいいと思っていました。
英語が出来れば将来的な選択肢が増えると思っての自然な選択です。
昔英会話教室のCMで英語が出来れば10億人と友達になれる、というキャッチフレーズがありましたが、まさにそれです。
只、英語が使えるのはあくまで手段であって目的ではないので、大学卒業後はアメリカに残らず日本で就職しました。
アメリカでの就職を考えないこともなかったのですが、当時は日本で就職したほうが面白いことができそうだと感じました。
当時一番入りたかった会社に無事入ることが出来たにも関わらず、最初に入った会社は半年位で辞めてしまいました。
辞めた理由は単純で、残念ながらそこにいても起業するためのノウハウがつくイメージが全く沸かなかったからです。
残業は一切せず、毎日きっちり19時に会社を出て、人にあったりして起業のヒント探しをしていました。
社内の人から見ると定時に帰るやる気のない新入社員に見えたと思いますよ。
いや、未だ起業するには経験も知識も足りないことが分かっていたので、ある縁がきっかけで飲食店をやることになりました。
やとわれ店長でしたが、何を今後やるにしろ起業ノウハウが溜まりそうだったので、二つ返事で引き受けました。
始めてみると飲食の経験なんて全くなかったので、全く使い物にならない店長でした。
夜の通常営業だけだと全然売り上げが足りないので、ランチをやったり、夜中や週末はDJイベントしてみたり、ほとんど24時間お店を稼動無休状態でしたね。
それでも全然売り上げは駄目で、新入社員時代の毎日定時で帰っていた頃との落差は激しかったですよ。結局これも上手くいかず4ヶ月くらいでギブアップしました。
キャリア的には新卒の会社は半年で辞めるし、飲食も続かないし、社会人1年目終わりにして、履歴書メチャクチャですよね。
それでもこのときの経験は自分には必要なものだったと思えます。起業へのフワフワした理想が全部吹っ飛んだというか、甘いもんじゃないなと。
なので、当時の関係者には今でも申し訳なく思うと同時に、感謝の気持ちですね。
その後は、2003年に前職にあたるアイレップに採用してもらいました。
このときの転職活動の軸は、独立のノウハウが溜まるとか以前の問題で、社会人1年目の駄目さを挽回できるような、「のめりこめる仕事かどうか」、という点だけでした。
一生懸命仕事に打ち込むことに飢えていましたね。
アイレップは、今でこそ社員数300人を超えているようですが、当時は未だ社員20人もいなかった頃でした。
それでも競合他社を見れば既に各社上場していましたが、ここはホントこれから、っていう感じでした。
それでも何と言うかこの会社には近いうちに大きくなりそうだな、という不思議な空気感がありました。
肝心の仕事自体も、仕事ってこんなに楽しいのかっていうくらい毎日充実していました。
毎日ほぼ終電まで仕事をして、よく終電ダッシュしていました。
それでもやっぱり、起業という想いは捨ててはいなかったので、5年間きっちり勤めて、その後は独立しますって、会社に言っていたのを覚えています。
2005年にアイレップが大阪進出することになり、最初は私が一人で行きました。
実際には社内で希望していたのが私しかいなかったのですが、これこそ起業の擬似体験だと思って、すぐに手を挙げました。
あるベンチャー企業の新大阪にある支社の間借りから始めて、毎日テレアポ、お客さん訪問。ひたすらこの繰り返しです。
大阪は初めての土地でしたが、結構順調にいって、立上げから半年位でオフィス移転して、メンバーも増えました。
1年半で自分の役割だったゼロからイチの立上げは完了しました。
大阪に行ったことで起業の疑似体験は十分出来たと思います。
この経験があったから起業へのリアリティが高まったのは間違いないですね。
その後、東京に戻り2008年に予定通り丸5年勤めたアイレップを辞めて、独立しました。